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意’sとは

意’sとは

 

意’sは、「自分は一つ」という見方を、少し広げるところから始まります

 

「本当は休みたい」

 

そう思っているのに、

仕事を断るのは怖い。

 

「もっと自由に生きたい」

 

そう思う一方で、

今の安定を失うのは不安です。

 

「言いたいことがある」

 

でも、

関係が悪くなるくらいなら、

黙っていたい。

 

 

一人の中に、

違う方向を向くものが同時にある。

 

これは、珍しいことではありません。

 

 

私たちは普段、

それらをまとめて、

「自分の気持ち」と呼んでいます。

 

けれど、

少し丁寧に見てみると、

一つではないことがあります。

 

 

進みたいもの。

守りたいもの。

失いたくないもの。

安心したいもの。

誰かを大切にしたいもの。

自分を大切にしたいもの。

 

それぞれが同時に存在し、

その場その場で、

選択へ参加しています。

 

 

意’sは、

まずそこを分けて見るための構造です。

 

なぜ、「意」という一文字なのか

 

意識。

意図。

意味。

意思。

注意。

願い。

恐れ。

欲求。

 

人は、自分の内側で

起きているものを、

さまざまな言葉で

 

分けてきました。

 

 

意’sでは、

それらを同じものだとは

考えません。

 

ただ、その奥にあるものを

一つの視点から見直した時、

 

中心に残ったのが

「意」でした。

 

 

私たちは「意」を、

単なる考えや

意思決定だけでなく、

 

人生を体感するために

働いているものとして

見ています。

 

身体に神経があるから、

熱さや冷たさ、

 

痛みや心地よさを

感じられるように。

 

もし人生にも、

出来事や関係、選択、

違和感や喜び、引力を

 

感じ取るための

“神経のようなもの”が

あるとしたら。

 

 

意’sでは、

その仮説的な見方を

「意」という一文字に

置いています。

 

これは科学的な神経そのものだと

言っているわけではありません。

 

 

自分の人生で何を感じ、

何へ注意が向き、

何を守り、何を選び、

 

何を選ばずに

残しているのか。

 

それを観測しやすくするための

構造上の見方です。

 

 

だから、

「意」という言葉を

覚えることが目的では

ありません。

 

大切なのは、

自分の人生の中で

実際に何が起きているのかを、

 

本人自身が

確かめられることです。

 

意は、どこに定着しているのか

 

意がいくつあるかだけでは、

人生の流れは見えません。

 

 

もう一つ重要なのが、

「どこへ戻りやすいか」

です。

 

人の目。

 

失敗しないこと。

 

過去の出来事。

 

未来への不安。

 

安心。

 

好きなこと。

 

譲れないこと。

 

 

自分が本当に大切にしたいもの。

 

何度場面が変わっても、

注意や意味づけや選択が

同じ場所へ戻ることがあります。

 

 

意’sでは、

この戻りやすさを

「定着」という視点から見ます。

 

たとえば、

「自由に生きたい」と

思っていても、

実際の場面では毎回

「失敗しないこと」

へ注意が戻る。

 

すると、未来を考える時も、

選択する時も、

失敗を避ける情報が

優先されやすくなります。

 

 

逆に、同じ人でも、

自分が本当に

大切にしたいものへ

 

意が向き、

そこから選択を重ねることで、

 

少しずつ戻り先が

変わることもあります。

 

だから意’sで見るのは、

「あなたには何の意があるか」

だけではありません。

 

 

今、何へ意が定着しやすいのか。

 

その定着によって、

何を現実として

見やすくなっているのか。

 

そして、その人の体感の中に、

今の定着先とは違う基準が

残っていないか。

 

そこまでを一続きで見ます。

 

一つの「本当の自分」だけで見ない

 

たとえば、

転職したいと思っている人が

いるとします。

 

求人サイトを開き、

気になる会社も見つけました。

 

「ここなら挑戦してみたい」

 

そう感じています。

 

 

ところが、

応募ボタンの前で

手が止まります。

 

「落ちたらどうしよう」

 

「今より条件が悪くなったら困る」

 

「家族を不安にさせたくない」

 

「でも、このままも嫌だ」

 

 

この時、

 

どれか一つだけが

「本当の自分」で、

残りが偽物とは限りません。

 

 

挑戦したい気持ちも、

安全を守りたい気持ちも、

 

家族を大切にしたい気持ちも、

今を変えたい気持ちも、

 

その人の中に同時にある

可能性があります。

 

 

意’sでは、

一つを正解にして、

残りを消そうとはしません。

 

まず、

それぞれが何を見て、

何を守ろうとしているのかを

観測します。

 

 

すると、

「私は優柔不断だから」

「私は意志が弱いから」

と一つの性格へまとめていたものが、

別の形に見えてくることがあります。

 

ここで、もう一つ問いが残ります。

 

一つの場面で、

選ばれずに残ったものを

丁寧に見ると、

 

「本当はこうしたかった」

 

という、今回の本意が

見えてくることがあります。

 

では、仕事でも、

人間関係でも、お金でも、

 

違う出来事の中で

似た本意が何度も残るとしたら。

 

でも、

それだけではまだ分かりません。

 

人には、好き嫌いも、

得意不得意も、

譲れないことも、

 

何度も戻ってしまう

ループもあります。

 

一見ばらばらに見える中で、

場面が変わっても

 

「本当はこうしたい」

 

「これは違う」

 

という

似た方向が何度も

残るとしたら、

 

まだ自分でも

言葉にしていない共通点が

あるのかもしれません。

 

 

意’sでは、その共通方向を

「真意」の候補として

探っていきます。

 

 

ただし、真意は、

一度で人生の答えを

決めるためのもの

ではありません。

 

 

もし人生に、

その人固有の

テーマがあるとしたら。

 

その輪郭を、

自分の言葉、

選択、戻り、

実際の結果から

 

少しずつ確かめていく。

 

一回で答えを

出すのではなく、

 

何度も人生を見直す中で、

まだ自分でも気づいて

いなかった方向に

出会うかもしれない。

 

意’sの探究は、

そこまで続いています。

 

 

止めている「意」も、悪者ではありません

 

人は、

前へ進みたい時ほど、

自分を止めているように

見えるものを、邪魔だと

感じやすくなります。

 

不安。

迷い。

怖さ。

ためらい。

 

「これさえなくなれば

 進めるのに」

 

と思うこともあるでしょう。

 

けれど、

その反応は、

何かを守ろうとしている

可能性もあります。

 

失敗から守りたい。

人間関係を壊したくない。

生活を守りたい。

傷つきたくない。

 

もちろん、

その守り方が

今の状況に合っているとは

限りません。

 

 

ただ、

 

合っていないからといって、

その「意」そのものを

悪者にする必要もありません。

 

消す前に、

何をしようとしているのかを見る。

 

意’sでは、

そこを大切にします。

 

「分かる」と「選べる」は、同じではありません

 

頭では分かっているのに、

同じことを繰り返すことがあります。

 

「人の目を気にしすぎなくていい」

 

「休んでもいい」

 

「失敗しても終わりではない」

 

そう理解していても、

実際の場面では、

いつもの反応へ

戻ることがあります。

 

それは、

知識が足りないからだけでは

ありません。

 

 

その瞬間、

何が前に出て、

何が選択へ参加し、

何が選ばれずに残ったのか。

 

そこまで見えていない

ことがあります。

 

 

意’sが見たいのは、

 

「何を知っているか」

 

だけではなく、

 

その知識が必要になる

実際の場面で、自分の中に

何が起きているかです。

 

ここが見えてくると、

 

「なぜ私は

 できないんだろう」

 

ではなく、

 

「この場面では、

 何が同時に

 動いていたんだろう」

 

という問いへ変わります。

 

この変化は、

小さく見えて、

とても大きな違いです。

 

意’sは、答えを決めるものではありません

 

意’sは、

性格診断でも、

タイプ分類でもありません。

 

「あなたはこういう人です」

 

と固定するためのもの

でもありません。

 

医療的な診断や治療を

行うものでもなく、

 

特定の思想を

信じてもらうためのもの

でもありません。

 

見るのは、

今この場面で、

何が起きているかです。

 

 

何が動いているのか。

 

何が選択へ参加しているのか。

 

何が残っているのか。

 

どこで選択が止まりやすいのか。

 

 

そして、

その現在地から何を見ればよいのか。

 

答えを外から渡すのではなく、

自分の中で起きていることを

見える形にする。

 

そのための観測構造が、

意’sです。

 

まだ、分かっていないこともあります

 

意’sは、

人生のすべてを説明し終えた

完成した教義ではありません。

 

むしろ、

人生にはまだ分からないことがある、

というところから始まっています。

 

 

なぜ、同じ出来事でも、

人によって選ぶ未来が変わるのか。

 

なぜ、同じ人でも、

仕事では強く選べるのに、

家族の前では

選べなくなることがあるのか。

 

なぜ、一度変わったと思っても、

別の場面では昔の反応へ戻るのか。

 

 

こうした問いを、

一つずつ観測し、

確かめていく。

 

もし、ここまで読んで、

 

「自分の中にも、

 違う方向を向くものが

 いるかもしれない」

 

と少しでも感じたなら、

それはもう、

この構造を自分の中で

確かめ始めたということです。

 

 

私たちは、

まだ分からないものを、

一緒に見ていけるのだと

思っています。

 

ただの弱さや

負のループだと思っていた

ものも、繰り返し観測していくと、

 

何度も残っていた本意や、

まだ見えていなかった

真意の流れへ

つながることがあります。

 

一度の説明で

人生を閉じず、

あなた自身の実際を重ねながら、

 

一緒にその可能性を

確かめていきます。

 

この探究をもっと見たい方へ

 

「意」が一つではなく、

同時にいくつも

動いているとしたら、

 

実際にはそれを

どう見ていけばよいのでしょう。

 

次は、

意’sでいう「観測」が、

診断や分析と何が違い、

どこを見ているのかを

具体的に見ていきます。

 

[観測とは]

※公開URL確定後に設定

 

この探究をもっと見たい方へ

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